てぃーだブログ › 笑築過激団ブログ
忘れもしない旗揚げ公演、沖縄市民会館使用の申請の時、『・・・過激団?おい、ちょっとこれ、公文書には載せられないなぁ・・・」と言われた。「こんにちは、笑築過激団と申しますが…」と言えば会社の受付嬢に「ホンモノですかニセモノですか?」とも真剣な顔で言われた。ホンモノの松竹歌劇団の関係者らしき人からは「沖縄にも『ショウチクカゲキダン』っていうのがあるんですって?」と言われ、当事者である座長はやっぱり真顔で「あるみたいですよ」とシラを切っていた。
あれから27年、設立当時のメンバーも独立したりカタギに戻ったり、色々ありはするもののそれぞれがそれぞれの道を勝手に歩んで、ついには座長の玉城満は県議会議員になってしまった。それでも我が笑築過激団はチクチクコツコツたまには新聞やラジオで世間様をお騒がせしつつ、劇団のような会社のような訳のわからない活動を続けて生きながらえています。
OBの皆さん、芝居を見に来てくれた皆さん、今は亡きてるりん先生をはじめとする諸先輩方、関連スタッフの皆さん、マスコミ関係の皆さん、そしてスポンサーの皆さん、言葉ではどうにも言い尽くせないけどみんなみんないっぺーニフェーデービル。これからもストレートに味わってもらえる美味しい古酒を目指してがんばります。

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2009年11月10日

キレイな子!GET!

なんて美しい……。友達のお子さんです。明日の沖縄を担う若き青年達に拍手を送ります
  



2009年11月09日

台湾出張JIS+756C

帰ってまいりましか…が…やっぱりコザの自分の家ガ一番です。原点は素晴らしい!
  



2009年09月04日

祭りのあと

先日アップした記事で笑築でオープンしたお店の看板をご紹介したが、気が付けば3週間も経ってしまっている。その間には衆議院選挙やらいろいろがあって、某政治家の落選の弁ではないけれども、超大型台風に直撃されたような日々だった。

例によってワタシはウグイスで沖縄中を歩いたのだけれども、こんな選挙は初めてだった。他府県に比べると政治家との距離が近く選挙に対する関心がある沖縄でも、遊説で歩く限りよっぽどの支持者でもない限り声援はそうそうあるモノではない。だけれども、今回の選挙はまったく違っていた。
対向車線の車の中から、横断歩道を渡っている人からと、老若男女問わず普段の選挙の何十倍もの力強い励ましをもらった。小さな部落に入ると沢山の人がお家の中から出てきて手をたたいて応援してくれた。

変化に対する期待なのだろうか。
スーパーで買い物をしている限りでは物もあふれて皆一様に豊かそうに見えるが、実情はそうではなく、沢山の人が厳しい生活を強いられているのだろう。民主党が圧勝した選挙が終わりお祭りムードでウンケーを迎え、この選挙による大きな変化がただの権力闘争で終わらないで欲しいと願わずにはいられなかった。

お中元の配達も終え、猫にブラシをかけたりしながら家でゆっくり過ごした。エイサーの太鼓の音と青年達の勇ましい掛け声にかき消えるように旧盆が駆け足で過ぎ去った。

去年の手帳によると9月4日は本の配達に走り回っていたが、今年はどうなるのだろう。先ずは洗濯物をやっつけよう。  



2009年09月01日

ー終わりのない旅ー

ここんとこ嬉しい事が色々あって…気が付いたら「あっ」と言う間に9月になっちょ〜んして、、明日から旧盆……髪も染めた〜い!(浦島太郎みたいになっている…)マッサージ・エステにも行きた〜い!ランチしながら新聞も読みた〜い!部屋も掃除した〜い!でも、、ひとまづ明日ウンケーの準備からだ… 焦るぜ。
  


2009年08月12日

その名はTARZIE’S

それは7月も半ばを過ぎた頃、県内各市町村役場を営業で歩いていたある日のことだった。いつでも突拍子もない我が愛すべき親分・タージー姉が言った。

「不動産屋さん行~こう!」

なんでそうなったのか詳しい経緯はまた改めて話して行きたいのだけれども、何しろタージー姉はお店を始めるつもりなのだった。

それから3週間、本当に私たちのお店が出来てしまった。こんな看板を中の町で見つけたら、ご用心。




  


2009年07月28日

浴衣に下駄にアイロンにワタシ




8月に笑築でちょっとしたパーティを開催する。詳細はまだヒミツなのだけれども、とにかく準備がとんでもない。場所の確保から始まって演出から当日のドリンクやフードの手配に案内状の作成まで、数え上げたらキリのない作業を延々と続けている。
印刷物一式は例によってワタシ担当で、毎日せっせとプリンターちゃんやカッターと仲良くしている次第だ。

そんなワタシの作業を見て部屋を覗いた親父さんが一言、
「今度は何作ってるんだ?何だってそんなにお前のところに一手にそう云う仕事が回ってくるんだい?」

傍から見れば確かにそうだろう。だけど、タイムリミットまであと1時間を切っていて、流れる汗もそのまんまで、オマケに紙はギリギリの枚数しかないし、ワタシはカッターで紙をまっすぐに切っている途中だった。この作業がホンのちょっとでも止まるなり失敗するなりすると全部の作業予定が半日くらい狂ってしまう。そんな事はどうしても避けたかった。で、怒りのあまり叫んだ。

「二人しかいないんだから仕方ないじゃない!」

「そりゃあそうだ!」ケッケッケ、と、親父さんは笑って向こうへ行って寝っころがってまたテレビを見始めて、「ほんとにお前等2人しかいないんだもんな~」なんて、団扇をパタパタさせながら『ちびまる子』の親父ヒロシみたいに言った。

夕方、サンライズレストランでタコスを食べながらタージー姉にそれを話すと大笑いしながら「今、ジイジ刺激しないよ~。宥めてすかして、これからお料理つくってもらうんだし」なんて言っていた。

ウチの親父さんは事あるごとにワタシたちの悪事の片棒を担がされて、茶碗蒸しを作らされたり泡盛のビンを磨かされたりドラマに出されたり何かとこき使われていて、今度の悪事でもなかなかに活躍していただく予定だが本人はまったく知らない。

パーティまで残すところあと1週間。出てきたアイスコーヒーにシロップを入れるつもりが、お冷にたっぷりシロップを注いでしまうくらいにはパニックを起こしている。パーティ当日にドレスにハイヒールで走れるか一抹の不安を覚えて、とりあえず走り回れる下駄に似合うように浴衣にアイロンをあてた。

写真は昭和42年製の浴衣。  


2009年07月24日

母ちゃん、ごめん

あんまりやる事が多すぎて、すっかりブログを忘れていた・・・。いつもお立ち寄りくださっている皆様、たいへん失礼致しました。ただ今、笑築は極秘プロジェクトを始動していて、しっちゃかめっちゃかです。

して、そんな日が続いている昨日、タージー姉宅にて打合せを終えるとダンボールを持たされて、実家に置いて来てくれと頼まれた。タージー姉の実家はワタシのアパートからは目と鼻の先だ。引き受けてダンボールを車に積み込んだ。
実はこのダンボールの中には去った5月に生まれた子猫が入っていて、このニャンコを実家の母ちゃんに押し付けようという算段で、実は母ちゃん家に持って行くのはこれで3匹目だ。既に母ちゃんのお家は猫屋敷で、毎日ドアの前で近所の野生のニャンコ諸氏がご飯を待っている状態が何年も続いている。そうそう簡単に引き受けてはくれまい。出来るなら母ちゃんが留守の間に置き去りに出来れば・・・なんて思いつつ、ダンボールの隙間から鼻先を出している子猫をつつきながら車を走らせた。

駐車場に車を入れてから、ダンボールを担いで玄関へ行き呼び鈴を鳴らしたが応答無し。ドアノブもガチャガチャしてもう一回ピンポンもしてみたが物音もしない。買い物にでも行っているんだろうか、しめた!と思いダンボールを置き去りにして走り出そうとしたその時、母ちゃんはドアを開けて目の前のダンボールにつまづいていた。

仕方が無いので向き直り、置いてあるダンボールを持ち上げ母ちゃんに手渡した。以下、そのやり取り。

ワタシ 「母ちゃん、これ、タージーが母ちゃんに届けてって」
母ちゃん「なんねー、こんな大きいの」
ワタシ 「んー?知らんけどよ、美味しいものじゃないの?持って行ってって言っていた」
母ちゃん「ずいぶん頑丈にフタしてから、はっさ、たいへんさー」
ワタシ 「だからねー」
母ちゃん「・・・まさか、また猫ね?」
ワタシ 「・・・わからんよー」

玄関先に裸足でしゃがみこんだムームー姿の母ちゃんは無造作にガムテープを引きちぎって中身を出そうとしている。生きの良いニャンコなので飛び出たら大変だ。結局とぼけきれずに「急にあけたら飛び出すよー」と言ってしまった。

母ちゃんはケラケラ笑って、「やっぱり猫ね!」と言いながら、子猫を引っ張り出した。

それから、避妊をさせろとか猫が沢山いて大変だとかイロイロ言っていたが、このままだとアンタ持って帰りなさい、なんて事態にもなりかねないので、母ちゃんの話をさえぎってバイバイして「あんたー・・・」という母ちゃんの呼び声のこだまを背に一目散にお家へ帰宅。置き去りは見事成功した。

今頃母ちゃんとあのニャンコはどうしているんだろう・・・。怖くて電話も出来ないでいる。  


2009年07月16日

ーー沖縄名物ーー

ー玉城家のごはん・その18ー(タコライス)こんな暑い日は発汗作用のピリピリ辛い食事が最高です。食べると同時に頭の中から脇下からバンナイ汗。身も心も熱帯夜。うすまさ激辛
  


2009年07月14日

玉城家のごはん(その17)

ふふふっ……ーー江戸前天麩羅ーー(尊敬する和食の板前→ジィジの言う通り)作ってみました。衣がサクッとカラッとしてて美味い!!食材のお野菜は→隣畑のオジィから頂いたネリとししとう。天然海老はプリッ(^-^)山芋は天麩羅にすると、また格別な味わいです。こうなると冷酒を飲むしかナイ!!ご一緒に乾杯できる人、募集中〜
  


2009年07月10日

「美女と野獣」

七夕の夜にーー県議会議員・改革の会3名とジュリエット。モノレール安里駅前にて…お月様もニコニコ喜んでいます。
  


2009年07月09日

ラブラブ・デート

さて、ここは何処でしょう。美しい場所に美しい女優の美枝子さん…はぁ……もう溜め息しか出ない。ステキな人です。
  


2009年07月04日

ウチナージラ〜(顔)

いやはや、似た者同士である。違う両親から産まれても同じ顔になる…なんでかね〜〜?阿麻和利と護佐丸みたい。まるで兄弟みたいに、とっても仲良し。沖縄ロック界の帝王、カッチャン。コザの1番街でバッタリ会って挨拶程度の「いつか飲もうね〜!」と言ったら→「いつかよりは今夜がイイな〜」と逃げられなくなった日でした
  


2009年06月30日

夜中の作業はひとりで

このところお家にこもって『白旗の少女』の写真アルバムをずーっと作っている。現在5冊目製作の途中。だいぶ手馴れてきたので、作り方を紹介しよう。




先ずは、こんなヘンテコな道具にはさんでアルバムの中身をキッチリ揃えて固定して、本の背(本棚に立てたときにこっちに題名などが見える部分)に糊を何重にも塗って中身がバラけないようにしっかり固定する。それこそ本格的な道具も揃えたい所だがいかんせんちょっとでも安く作って皆さんにお届けしたいので、耳かき・編み棒・板のきれっぱし・子どものお習字用の半紙・料理用の刷毛などなど、お家にある物で使えるものはほとんど使っている。

糊→糊→和紙→糊→花ぎれ→糊→寒冷紗→糊→クラフト紙




仕上がるとこんな風になるのだが、中でもワタシが感激したのは花ぎれ。これは本を立てて上から見たときに背の端っこに糊が見えたりしないように隠すための布で、大概のハードカバーには必ず仕込まれている。美しく本を仕上げたいという心の表れた素晴らしい智恵だと思う。

こうやって何重にも固めた背の糊がしっかり固まるのにまる一晩。その間に表紙を作る。2mm厚のボール紙に紙を張って表紙は作るのだが、あんまりにも緊張する作業なので写真は割愛。出来上がるとこんなになる。




これに前の晩に作っておいた本の中身を挟み込んでしっかり糊付け、重石をして一晩置くとこんな風に出来上がる。(製本行程を詳しく知りたい方はこちらでご覧になってくださいね。)





手前ミソで恐縮だが、一冊一冊出来上がる毎に実に立派に仕上がったアルバムをとっくり眺めながら、どこのお家にお嫁に行くのかと思うと手放したくない気分がふつふつと沸いてきて、東京にいる絵描きの叔父を思い出した。
何回目かの個展を見に行った折、どうしてもこれを買えと叔父が一枚の絵を指差した。お金も無いので嫌だと言うがどうしても譲らず、結局その頃の彼氏に買ってもらった。ずいぶん経ってから「気に入った絵は行方がわからなくならないように身内に持たせるのが絵描きなのだ」と叔父が話してくれて、それからは引越しをする度にずっと持ち歩いてきた。

ここまで書いたら、あの絵を別れた旦那のところに置いて来てしまったのを思い出して急に腹立たしくなって、次の休みにはじぇったい奪い返しに行こうと決めた。
  


2009年06月25日

ぎんばる食堂




・・・ところで、このところ撮影もひと段落しているので、企画書片手に本業の営業に出歩いている。して、出かけた先では必ずソバを食べるのだが、今日のは強烈だった。

タージー姉は【ソーキそば】、ワタシは【野菜そば】、いずれも【小】を頼んだのだが、出てきたソバは小さいどんぶりに入ってはいるものの、どんぶりからはみ出ている部分がおつゆに浸かっている部分と同じくらい。大きいどんぶりに移しても多分普通のソバより大盛りだろう。

親切なことに小分けするお椀がついてきていて、乗っかっている野菜1/3ほど移したもののまだまだソバがギュウギュウに詰まっている。仕方なくソバも取り分けて食べたが、結局お椀に移した子ども一人前ほどの分は食べきれずごめんなさいをした。

沖縄に引っ越してきてすぐ、元ダンナに誘われてソーキそばを食べに行った際、乗っかっているお肉をかじっている間にソバはどんどん増えていつまで経っても食べ終わらずたいへんな思いをした。それ以来おつゆを吸わないうちに緬から食べることにしてきたが、今日のソバはそれでもやっつけきれなかった。

濃い目のかつお出汁で味くーたー。昼時は外しているにもかかわらずお客さんはひっきりなしで、そのあたりでは人気なのだろう。金武町のぎんばる食堂、恐るべし。

ぎんばる食堂  沖縄県国頭郡金武町字金武10454  


2009年06月25日

今夜の観どころ!




はいたい、皆様いつもご訪問、いっペーにふぇーでーびる。

さて、先日八重山に出かけて撮影しました番組が今晩9時よりOTV(8チャンネル)にて放送になります。番組タイトルは『とんねるずのみなさんのおかげでした』。笑築からの出演は、国頭村の大田吉子さんと、コザの仲栄真キクさん、それに首里の石川清隆さんの3名。どうぞ皆様、ご覧になってくださいませませ。

・・・ところで、『とんねるず』といえば、『お笑いスター誕生』をどうしても思い出す。かれこれ30年くらい前だろうか、セーラー服を着ておさげに赤いリボンのカツラをつけた木梨ノリタケさんの姿があまりにおかしくて、勝ち抜いていくのを家族で毎週楽しみに見ていた。

今回の撮影では『矢島美容室』で偶然にも女装している木梨ノリタケさんともご一緒させていただき、あのおさげ姿の彼を懐かしく思い出した。


写真はコーナーラストシーンのひとコマ。竹富島にて  


2009年06月24日

玉城家のごはん・その14

バジルパスタここんとこ昼も事務作業に追われ夜も家に居ず、やれ模合いだのパーティーだの外食ばかりで飽きて来たので久々にスッキリ白ワインと相性の良いパセリとニンニクをたっぷり使ったパスタです。やっぱ自分で作るのが1番だ!
  


2009年06月21日

オメデトウ、ありがとう




去った4月の中ごろ、ブログシステムを介して内地から1本のメールが届きました。6月に沖縄で挙式を迎えられるとのことで、笑築ブログを楽しんでいただいている彼女は司会者を私共にわざわざ問い合わせてくださったのです。
一方的な情報発信しかできないだろうとタカをくくっていたので、実に嬉しいお問い合わせでした。

そして昨日そのお2人が無事、挙式の日を迎えられ、笑築で司会進行を受け持たせていただきました。

直也さん、奈々さん、本当におめでとうございます。そして、てぃーだブログさん、ご縁をありがとうございます花束  


2009年06月20日

一番見たいモノはいつでも一番奥にある




ロケが一段楽しているので、この間にイロイロと事務作業を進めている。なかでも一番手が掛かるのが『白旗の少女』ロケの写真集作り。湿気がある間は紙がヨレて手が付けられなかったが、ついに今日はすっきりと晴れた。切って貼っての大騒ぎで家中散らかして、にわか製本に朝から着手した。

ところがどっこい、ネットでチェックしていたハードカバーの製本手順を確認しながら進めるがどうにも表紙の厚紙を布で包むのが上手く行かなければ、どこをどう探しても作業手順がわからない。仕方ないので本棚のハードカバーの中で惜しくない本を一冊、解体した。

南無さん・・・。本に合掌してからカッターを差し込み表紙に貼り付けられた見返し紙をゆっくりはがすが、丁寧に糊付けされていて上手く行かない。
数年前に飲酒運転撲滅の企画で泡盛のボトルをデザインした時もそうだったが、愛情をかけて作られている泡盛はボトルに貼り付けられたラベルまで実に丁寧に貼られていて感心した事があった。製本はそれ以上で、コツコツ作っている人の愛情がひしひしと感じられて忍びなかった。

・・・して、あけてみると単純明快、必要な材料も一目瞭然。早速ネットで注文する材料選びを価格とにらめっこしながらはじめた。

女性週刊誌の目玉記事は袋とじで本誌の奥深く挟み込まれているし、男性諸氏の大好きな『アソコ』も服や下着に幾重にも覆われて一筋縄ではいかない。見たら「なーんだ!」ってなモノで別段代わり映えもしなかったりもするのだが、どうにも顔を覗かせた探究心という名のスケベ心の誘惑は強烈で人の能力を無限に発揮させ、奥へ奥へと手を伸ばさせずにはおかない。

二百数十年前の江戸時代、杉田玄白はどうしても人体の内部がどうなっているのか気が狂いそうな探究心に駆られたことだろう。それに比べればワタシの探究心などテキトウなもんだが、『製本の恐ろしいほどの手間からすれば文庫本の5倍10倍の値段がハードカバー書籍についたとしても一向におかしくない』という新たな認識にたどりついた。


写真はアルバムの試作品。1日2冊作れれば良いほうだろう。材料が届くのが待ち遠しい。
  


2009年06月15日

撮影三昧の日は続く・・・













して、ウチナーのオジイ・オバアの需要は果てしなく、『白旗の少女』の撮影がひと段落したと思ったのもつかの間、映画やバラエティの撮影で本島内ばかりか八重山にまでお邪魔してしまった。一体いつになったらワタシはスナックのホステス業務に復活できるのだろう・・・

写真は竹富島にて。本島には大雨洪水注意報が発令されていたようだが、八重山はカンカン照りだった。  


2009年06月15日

飾りじゃないのよ、バスは!




『白旗の少女』ロケ中のある日、とっても急にマイクロバスが必要になった。限られた予算内でバス会社から借りることはどうにも不可能で、出来る限り安く借りられるバスを探した。思い出したのは某市某老人福祉関連施設にいつも駐車されているバスだった。担当部署に何回も交渉を試みたが使用目的が『市の事業ではない』とのことで、結局使用許可は下りなかった。

幸いにも別の施設からお借りする事が出来て事なきを得たが、後味の悪いやりきれない思いが残った。

沖縄は家族のつながりが深いと思われているが実はそうとばかりも言い切れない。実際には娘・息子夫婦との関係、仕事や仏壇や畑などの問題の中で同居する事を断念し1人暮らしをしている方も多く、内地とそれほどの違いがあるわけでもない。積極的な方ならサークルや催しに出かける事も出来るがそうでない場合もあり、誰もいない家でひとり暮らし、口には出さないけれども寂しい毎日を過ごされている方も多い。だから笑築ではエキストラの話があると、ちょっとしたレクリエーションのお誘いみたいに声をお掛けして、お弁当かついでバスに乗って遠方までお付き合いをお願いしたりしてそれとなく様子をうかがったりもする。

炎天下で長時間待たされたり、雨に濡れたり、エキストラはたいへんな事も多い。それでも行き帰りのバスの中では唄を歌ったりしながら日常からちょっと離れた小旅行を皆さん楽しまれている様で、また帰ってきたら帰って来たで、近所に集まってはあれこれロケの話に花が咲き、元気を回復してくれたりもする。

撮影は遊びみたいだけど、私たちも稼がせていただいて、皆さんにも(たくさんではないけど)儲けていただいて、それぞれが精神的にも経済的にも満足できる立派な仕事だ。特に沖縄のシルバーの皆さんは内地からの需要も多く、制作会社にもとっても重宝していただいて喜んでもらっている。そんな風に必要とされることは人が心身ともに健康でいる秘訣で、だから私たちにとってロケは仕事としてばかりでなく『お年寄りの健康づくりに一役買っているのだ!』という自負もあって、『市の事業ではない』という笑築が公的機関ではないとか撮影が公的事業ではないという理由だけでバスを借りるコトを却下されてしまうのがとっても残念だった。

少子高齢化が進み、1人で何人ものお年寄りの世話を引き受けなければならない状況や老々介護が取り沙汰されて久しく、どの市町村も介護予防に力を入れている。そんな問題も一人一人が健康であればずいぶん解決されるだろうし、市町村の財政や若い世代の負担も軽減されることは間違いが無い。

そんな意味で私たちは(多分、私たちの支払った税金の一部で購入されているだろう)あの施設のバスを借りたいと何度も何度もうったえたが、その声はじぇんじぇん届かなかった。

いつもあそこに置かれたままのバスを見るたびにあんまり悔しいので、タージー姉と私と2人だけかもしれないが、声を大にして言う!

『飾りじゃないのよ!バスは!』

耳のアナかっぽじってよぉく聞きやがれ!


写真は5月31日、貸して頂いたバスの前でのひとコマ。古宇利島にて。沖縄小児発達センター様、本当にありがとうございました!